Privately Beautiful Items - 麗しの160cmドール

ドレスアップしたクッションドールと私が美しいと思うものたち。画像の無断使用はお断りしています。

ドールに関する覚書 memorandum about my dolls

Tay: In light and a shadow

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黒いワンピース。

そのままでは、あまりにも暗い画像になりそうだったので、

窓からの光を意識しました。

しかし、明かりは、この一方向からのみ。

カメラを構えている私の背後は、影というよりは

殆ど闇に近い室内空間です。

(続き)

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明るい窓に向かってカメラを向けるなら、その前に位置する被写体には

普通はレフ板を使用するところでしょう。

しかし、そうしないで撮っているため、

ご覧のとおり、白飛び気味の画像になります。

画質も荒く、本来の画像サイズでモニターすると、

不出来な点描画を眺めているような感じです。

それでも何故か、時々こんな画像を眺めてみたくなります。

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話の内容が、精緻な視覚的情報に満ちている人がいます。

それは一種の話芸…

きっと常人よりも視覚記憶が優れているからできるのでしょう。

画家になった友人は小学生、中学生のときから

殆ど目の前の風景を見ずして、写生していたような気がします。

学生時代よく一緒に映画を観に行っていた友人も、

観終わったあとの飲み屋で、様々な場面を詳細に語るのが常でした。

私は印象的な場面ですら、記憶から欠落しているものが多く、

友人の話を聞きながら、自分の目は何を見ていたのか

訝しく思うほどでした。

私の視覚記憶を邪魔しているものは何なのでしょうか?

記憶の中の美しい人も、

振り返ってみた姿が、太陽の輝きの中にあったように、

無数の色の点に分解されてしまったようで、

確かな顔貌が思い出せません。

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感傷に流されやすいために客観的な眼差しに欠ける…

そう思うしかないのでしょうか。

晩唐の詩人が、こんな詩句を残しています。

 (ただ)(これ) 當時より(すで)惘然(ばうぜん)   「錦瑟」李商隱

精緻な視覚記憶は苦手ながら、

輪郭のぼやけた粗い点描のような記憶の隙間には、

眩い光が在って、

遠い響きや仄かな匂い、時間の流れなど

個人的な記憶が在るのだと思うようになりました。

友人のように絵が描けないのは残念でたまりませんが、

そう思ってから、もう50年近く…。

羨望にも慣れてしまいました。